新聞のテレビ番組欄を見ていたら、―ドラマの良さ「伏線回収」だけ?―と題する桧山珠美さんのコラムが目に留まり、興味深く読ませていただきました。
私はこのとき初めて「伏線回収」という言葉を知った次第。上手い表現だなぁと感心しました。桧山さんの文章を拝借すると
最近、ドラマを語るときによく使われるのが「伏線回収」という言葉だ。もともとは漫画やアニメファンの間で言われていたようで、それがドラマにも使われるようになったらしい。
ストーリーが進むなかで、ちりばめられるエピソードを、最後に回収することを指すが、最近は回収するかしないかばかりに注目が集まり、それがいいドラマか否かの基準になっているのが解せない。
2022年4月14日 読売新聞
俳優の仕草や表情、台詞、舞台のしつらえや衣装などもっと見るべきところがあるのでは?と苦言を呈されていました。
確かにその通りだと思いますが、かく言う自分も、結局は伏線回収を楽しんでばかりいることに改めて気づかされます。
最近見たドラマを思い起こすとTBSの「日本沈没」「最愛」「DCU」「危険なビーナス」、フジの「ゴシップ」「ミステリと言う勿れ」・・・いずれもバリバリの“伏線回収モノ”ばかり。
「やっぱり真犯人はあいつだったかぁ~」「そういう過去がかくされていたんだね~」などとつぶやきつつ、私は全てが明らかになる最終話の爽快感に浸っているのです。
しかし、桧山さんには申し訳ないのですが、それはそれで良いと思っています。よい、わるいというよりも、単に今は“伏線回収モノ”の人気が高いということなのでしょう。
ドラマに何を求めるかは人それぞれ。芸術的な観点で良さを追求するもよし、最終回の伏線回収の快感を味わうもよし。
コロナ禍、ウクライナ危機…。せめてドラマくらいは好きなように楽しめばよろしいかと。