ロシアのウクライナ侵攻から2か月余り。テレビやネット、新聞などあらゆる媒体でその惨状が絶え間なく伝えられています。
コロナ禍の出口がようやく見えかけていたところに世界を襲った更なる悲劇。ウイルスとの戦いでは協調できた人類も、国際社会の場では分断を回避することはできませんでした。
さて、コロナ禍でも、そして今回のウクライナ危機でも、被災者の痛ましい様子が連日報じられますと、自分がいかに恵まれた状況にあるかを感じずにはいられません。
戦火を逃れるべく、水も食料も電気もない地下室で、多くの人々が身を潜めて生活している。明日の命すら保障されない。
それに比べれば、今の私たちは何と贅沢な環境に置かれているか。「ガソリンの高騰」とか「もやしの値上げ」といった悩みとは比較にならない惨状に巻き込まれた人々がいる。
そう思うと、ウクライナのために自分に何か出来ることはないか?と自問自答する。でも、実際には寄付くらいはできても、それ以上出来ることなどほとんどありません。
そうなると「自分はこんなに平穏な日常を過ごしていてはいけないのではないか?」と自分を責める人が出てくる。過度な自粛など、自分をもっと不幸な境遇に追い込む。
でも、それはあまりにナンセンス。誰しもまずは自分の生活を考えなければなりません。自身の足元が心許ない人に、他人を助けられるはずがないからです。
私たちが働いて納めた税金からもウクライナ支援金が拠出されているのです。自分は何もしていないなどと自分を責める必要など全くない。
いつものように自分の仕事に精を出すことが、間接的にウクライナで苦しむ人々を助けているのですから。