「いまどきの若者は…」という前に

「いまどきの若者は…」という前に

通勤電車の風景がずいぶん変わったと思っていました。その理由はスマホです。

スマホに夢中で周囲の乗客が目に入らない、まして車窓の風景など眺めることはほとんどない。そんな乗客が増えました。先日、有力週刊誌2誌が中吊り広告を終了すると報道されていたのも象徴的です。

特に若い世代の人たちはスマホに首ったけですね。これでは、名実ともにどんどん「視野が狭く」なってしまうのではないか?と少し心配になります。

ただ、コロナ禍でテレワークが進み、電車の混雑が緩和されてきたためでしょうか、本や新聞、雑誌といったアナログ媒体を読んでいる人が少し増えたように思います。

もっとも、今は本も新聞もスマホで読めますので、ツールは変われども、アクセスしているコンテンツは変わらないのかもしれません。

変わらないと言えば、以前、息子が「昔の通勤風景の写真を見たら、駅のホームがスポーツ新聞を読んでいるオジサンばかりだった。スポーツ新聞がスマホに変わっただけで、本質は今も昔も変わってないんじゃないかなぁ」と。

なるほど、そうかもしれません。私は、今の通勤電車はスマホを見ている人ばかりで、少し不気味な感じさえすると思っていましたが、若い世代からみれば、スポーツ新聞を見ている人ばかりという光景のほうが不気味でしょう。

歳をとると、なぜか無意識のうちに「いまどきの若者は…」とか「いまの世の中は…」という目で世の中を見てしまいがちです。「昔はよかった、昔のほうが優れていた」と。

でも、それはやはり偏見です。

あれは私がまだ小学校低学年のころ。母に連れられ 妹と3人で母の実家に電車で帰省したときのことです。

行楽シーズンだったのか登山やハイキングに出かける人たちで車内は混雑。私たち親子は、4人掛けのボックス席で楽しそうに談笑するオジサンたちの脇に立っていました。

しばらくすると、妹の具合が悪くなり、吐き気もあるようでその場に座り込んでしまい…。しかたなく、母が身をかがめて介抱していました。

私は目と鼻の先に座っている4人が、みな知らん顔で談笑を続けていることに驚きと怒りを覚えました。席を譲ってくれてもよいのにと…。

結局、目的地まで1時間あまり、床にしゃがみこんだままの妹がとても不憫でした。

さて、あの4人は私が「若者」とばれる歳になったころには「高齢者」とよばれる世代になっていたはずです。

その時、彼らの世代に属する一部の人たちが「いまどきの若者は高齢者に席を譲らない者が多い」などと私たちの世代に苦言を呈していました。

そんな「高齢者」の声を耳にするたびに、当時の私は「談笑を続ける4人組」のことが思い起こされ、不愉快な気持ちになったものです。

「いまどきの若者は…」と言うけれど、かつての自分たちはどうだったのか、心に悖ることはなかったか。自分のことを棚に上げるようなことのないよう、私も気を付けたいと思います。