荻窪駅はどこへ行くにも便利です。
鉄道はJR中央線、総武線各駅停車、東京メトロ丸の内線、東西線。バスも関東バスと西武バスが利用でき、東西南北あらゆる方向に交通網がのびています。
たしか「交通の要衝」と杉並区のパンフレットにも書かれていました。
私は通勤で地下鉄丸ノ内線を利用していました。乗るたびに感謝していたのは「荻窪が始発駅なので座れる」ことです。
朝の通勤時間帯でも ほぼ座れました。コロナ禍でテレワークが進んだことも追い風になっていますが、コロナ禍前でも列に並んで1本待てば大丈夫。
通勤時間帯は4~5分毎の発車。コロナ禍でかつての混雑はなくなり、座席は満席&1車両に数名が立っているくらいで荻窪駅を出発します。
さて、約2分で次駅「南阿佐ヶ谷」ですが、そこから乗車してくる人々は残念ながら座れません。たったひと駅 わずか2分の差で「待遇」に大きな違いが生じるわけです。
その後も駅に着くたびに人々が乗降を繰り返し、運のよい人は、自分の前に座っている人が途中で降りて、その席を譲り受けます。
でも、多くの着席者は赤坂見附、霞が関、銀座といったターミナル駅までずっと座っています。せっかく席が空いたと思ったら、自分も降りる駅だったなんてことも少なくないでしょう。
そんな光景を見ていると、なんだか不動産の取引に似ているなぁと。
自分の家を買う、商売を始めるために事務所を借りるといったとき、良い場所は既に抑えられていることが多い。その物件は(例えば)先祖代々受け継がれているわけで、あとから来ても何もできないわけです。
まるで、南阿佐ヶ谷から乗車したら、既に荻窪から乗車した人々で席が埋まっているのと同じ風景です。
座席は既に始発駅で乗車した人が占拠している。途中駅から乗車してもどうにもならない。たまに、空きがでても、目の前にいた人が押さえてしまう。そこにはフェアな競争や話し合いなどは存在しません。
始発駅から乗ったというだけで座れた私は、なんとなく申し訳ない気持ちがわいて、目の前に人が立つと いつもうつむきがち。
高齢者や身体の不自由な方がいればもちろん席をゆずりますが、時々「結構です」と断られることも。そんな時は気まずい空気が車内に発生してしまいます。
結局、座ってみてもなんとなく落ち着かない。そこで、しばらくの間 自分は余程疲れていない限り 座らないようにしていました。
ところが、この夏はコロナ第5波の影響もあり乗車人数がさらに減。あまり空席が多い車内では、(半分言い訳ですが)立っているほうが落ち着きません。このため再び座るようになってしまいました。