私は幸いなことに「サラリーマン人生」において、数々のかけがえのない経験をさせてもらった。それは自分にとっては大切な財産。
しかし、他人にとって、それは「どうでもいいこと」だという現実も認識しているつもり。だから、自ら進んでは話さない。「過去の栄光」の話を聞くのは誰だって退屈だ。
例えば、自分にとって海外駐在はかけがえのない経験だったが、だからといって、職場やボランティアで新たに知り合った人が、その話を聞かされても、ちっとも面白くないはずだ。
その人が海外に高い関心があるとか、当時同じ時間を共有したとか、私という人間そのものに興味を抱いてくれているとか、そういった場合はもちろん別だが…。
日本に本帰国して既に15年、すいぶん長い年月が経ったとつくづく思う。経験の記憶そのものも徐々に薄れてゆくから、時々ブログに書き留めたり、アルバムをながめて見たり…。
「過去の栄光」、それは「古新聞」みたいなものだ。